かつてデザイン会社をやっていた頃は、
来るもの拒まずでどんな注文でも請けていた。
「せっかく声をかけてもらったのに断ったら申し訳ない」
「ここで断ったらそのあとの仕事が止まるかも」
「紹介された手前、どうしても断れない」
これはちょっと安すぎるなと思っても、
とにかくやっていた。
おかげで忙しい日々が続いてはいた。
とくにフリーランスや個人経営の人と話をすると、
「忙しいのはいいことだ」という風潮がある。
まあ、ヒマで仕事がなかったら生活できなくなるので、
それよりも、忙しくて時間が足りないくらいのほうがいい。
その気持ちはよくわかる。
当時は私も徹夜や休日出勤は当たり前の感覚だった。
「忙しくていいねえ」などと人に言われると、
まんざらでもない顔をしていたものだ。
ただ、やっぱり問題も出る。
いつも疲れていて、脳が動いていない状態が続く。
見落としなどのミスが出てしまう。
いつもなら納品に出かけていって、
顔を出していたのに、
バイク便で送ってしまう。
もう仕事を入れたくないので、
営業活動もしなくなる。
たまに注文をもらっても、
うれしそうな顔にならない。
社員の休日出勤の割り増し手当が増える。
ドリンク剤などの出費が増える。
疲れているので、遊びの誘いを断る。
じゃあかなり儲かっているかというと、
実際にはそれほどでもない。
こんな状態が続いていたのだ。
ときには、
仕事内容も支払いもいいお客さまからの注文を、
断らざるを得ないこともあったりする。
本来なら、いろいろと試行錯誤して作るべきものなのに、
時間がないので、さっさとやってしまうことも。
当然ながら、完成度もお客さま満足度も下がってしまう。
なんでもやろうとすると、
いろんな弊害が出てしまう。
本当は、もっとじっくりとひとつの仕事に打ち込んで、
自分もお客さまも満足できるものを作りたい!
でも時間が足りない!
すると、徐々に仕事に悪い変化が現れてきた。
じっくり企画を練るなどのクリエイティブな仕事が減り、
淡々と作業をこなす系の仕事が増えてくる。
ひとつの仕事への納期がどんどん短くなる。
仕事の単価が安くなる。
対等にやりとりできるお客さまが減り、
うちを単なる下請けとしか見ていない業者が増える。
いつも納期に追われて、
品質へのこだわりが薄れてくる。
そういう生活が続いていると、
なんのために仕事をしているのかわからなくなってくる。
そこであるとき決断をした。
仕事を断ることを。
そもそも元凶があったのだ。
印刷ブローカー的な業者さんがいて、
あるときから頻繁に仕事を受けるようになった。
当時は、知人からの紹介もあって、
依頼されるものはすべてやっていた。
きちんと納期を守る。
ミスがほとんどない。
料金は言いなり。
相手の立場から見ると、
こんなに使いやすいデザイン事務所はない。
どんどん仕事が回ってきた。
しかも、短納期で安い仕事ばかりが。
そしてますますエスカレートする。
金曜日の夜にひょっこりやってきて、
ドサッと仕事を置き、
月曜日の朝までにやっといてと言い残して帰っていく。
いつしかそれが当たり前のようになってしまった。
心では「ふざけるな」という気持ちだ。
当然ながら社員からも不満が出る。
しかし、それを断って仕事が来なくなるのも恐い。
やはり経営者としては、仕事を途切れさせたくないのだ。
私の心はいつもザワザワと揺れていた。
そんなとき、昔のお客さまから久しぶりに仕事の相談が来た。
打ち合わせをしていると、
かつての楽しかった記憶がよみがえる。
いいものを作るために時間をかけてじっくりとやる楽しさ。
この仕事はきちんとやろう!
そう思って、スケジュールと人員を確保した。
それを社内で伝えると、
メンバーもやる気を出してくれた。
久々に、活気が戻った感じだ。
そこに、例のブローカーがやってきた。
そして当たり前のように仕事を置いて行こうとする。
勝手に説明を始める彼を制して、私はこう言った。
「これって、納期はいつまでですか?」
「明後日の月曜日までに欲しいんだけど」
「そうですか、ではうちでは受けられません」
「なに言ってんだよ。それは困るよ」
「いま手一杯なんで、すみませんが本当に無理です」
すると相手は怒りだして、
「じゃあもう今後は仕事出せなくなるぞ。それでもいいのか!」
と脅してきた。
私は心の中ではビビりながら、
逆にこれはチャンスだと思ってこう言った。
「構いません。とにかくこの仕事はお断りします」
彼は、さんざん文句を言いながら帰っていった。
そして、それ以降、彼からの注文はなくなった。
私は、性格的にも人からの頼みごとを断ることに抵抗がある。
相手を困らせたくないし不快な思いもさせたくない。
そのとき初めて仕事を断ったことで、
私の心も傷ついていた。
ところが、すぐに傷が癒えることになる。
収入源がひとつ消えてどうなるかと思っていたが、
結果的には、売上が伸びたのだ。
どういうことかというと、
しっかり納期を確保できて、
単価も高い仕事が増えるようになった。
忙しさで足が遠ざかっていたお客さまにも、
行くようになって、
質の高い仕事が入るようになったのだ。
当然、社員のやる気も出て、
仕事のクオリティも高くなる。
それがお客さまに評価されて、
さらに仕事がやってくる。
私としても、納期に追われるだけの生活から解放され、
精神的にもゆとりができた。
もう、金曜日の夜に文句を言いながら待機することもない。
いやな仕事を断ることで、
よい仕事が増えたのだと実感できた。
それがわかると、自信を持って仕事をジャッジできるようになる。
この新規の仕事は受けるべきかどうか?
私の判断基準はこうだ。
・この人と一緒に仕事をやりたいか?
・この仕事は自分(自社)の将来に役に立つか?
この2点のみである。
料金はあまりこだわらない。
その代わりに、人と仕事内容にこわだるようになった。
やはり一緒にやる人がイヤだったら、
どんな仕事でもつらくなる。
ムリに自分と合わない人と仕事をする必要もない。
そして、たとえ安い料金だとしても、
今後の糧になったり、よい経験ができる仕事もある。
それを足掛かりにして新しい分野に挑戦できると判断できれば、
受けることにした。
この判断基準は、いまでも変わっていない。
営業をやっていれば、
この人とは付き合いたくないという場面もあるだろう。
お金のためとはいえ、こんな会社と取引したくないということも、
出てくるかもしれない。
迷ったら、どう判断するか。
その判断基準を自分のなかに持っておけば、
即断即決できる。
なんでも上司に相談してから決めるというのも、
時と場合によってくる。
今年は利益にならないが、
来年以上は儲かる見込みがあるとしたら、
その場で決断してしまい、
あとで上司を説得する。
それができると、お客さまからの信頼度がグンと上がるだろう。
営業は、判断の連続だ。
その都度、迷ったり悩んだりしないように、
判断基準を持っておくことをおススメする。